2013年2月20日 (水)

かわるもの、かわらないもの

更新しないまま半年ちかく経ってしまった。

この半年、変わらぬこと、変わったこと。

こすことができたいくつかのリミット、できなかったいくつかのリミット。

さぼる者はさぼればいい。笑いたいものは笑えばいい。いいわけをしたい者はすればいい。

いつもながら思うことは、まっすぐ、まっすぐ、いつまでもまっすぐ。

自分の感受性は自分で磨く。誰かが手伝ってくれるときは、素直にありがとう。

誰も手伝ってくれないときは、やっぱり自分で磨く。

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2012年9月 4日 (火)

人のいきかた

母は無事に永遠の場所に移された。東京郊外の公園墓地。その帰りに顔をだした大伯父(母方祖母の弟)の家で意外なヒストリーを聞いた。これまで断片的には聞いていたのだが、ちょっと悲しい物語であった。

私にとっての母方の祖母、つまり母を生んだ人は、母の出産後まもなく他界した。祖父はその後再婚し、その後妻に子供が生まれる。1歳の母は、私にとっての母方曾祖父の家に引き取られた。

当時小学生だった大伯父が学校から家に帰ると、布にくるまれてすやすやと寝ている母がいたのだそうだ。ところがこの曾祖父、宮大工で腕はよく、稼ぎはあったのらしいのだが、女性関係にだらしがなかったそうな。母の物心がつきはじめるころ、とある女性が家に転がりこんできた。その女性は幼い母のことをかわいがってくれたらしいのだが、やがてどこかの男と駆け落ちしてしまった。

次にやってきたのは、4人の子持ち。こうなると母が邪魔になるのはごく自然な流れだろう。このあたりで当時19歳の大伯父は、荒んだ家を飛び出してしまったらしい。母の年齢は5歳くらいのときだったのだと思う。次に伯父さんが母にあったのは、千葉にある東京都の児童施設であった。その時の母はたぶん中学生。やがて母は東京郊外の牧師夫妻の養女になった。ただそこには実子もおり、母はお手伝い扱いされて、これまたつらい日々を過ごしたのだそうな。

ある日、母が結婚したての伯父の家に遊びにきたとき、「もう帰りたくない」と柱につかまって牧師の家に戻ることを拒否したそうだ。そこで伯父と結婚したばかりの伯母があずけた悪知恵はというと、その晩はいったん帰って、少しずつ私物を友達の家に移し、これでよしというタイミングでうちにおいで、というものであった。

これは、養子の世話を担当した児童福祉課の人へ迷惑をかけてはいけないとの気持ちがあったと伯母は言っていた。そして数週間後、母は予定通り伯父のもとへやってくる。この時点で母は伯父夫婦の養女となった。ただ当時、伯父は肺を患い、高校で非常勤講師をしている伯母の稼ぎで暮らしているという状態であった。

やがて高校を卒業した母が試験をうけた保母学校の校長が、牧師への養子を世話した人であったそうな。その人は逆境にあった母の成長した姿にいたく感激したそうだ。ちなみにその学校は公立で学費も無料であったそうな。伯父と伯母に迷惑をかけないように選んだ学校だったのだろうけど、不思議な縁でもある。

卒業後、母は盲学校の先生となる。母はそこで自分より不幸な子供たちを相手にするようになり、平穏な気持ちをもちはじめたらしい。

伯母いわく、「それから50年間、さっちゃんはきっと幸せだったわよ」。この言葉には救われました。ただバカ息子はあいかわらずフラフラとにっちもさっちもいかない生活をしているけど。でもなぜか、ちょっとだけ気もちが晴れたようなかんじもする。

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2012年8月17日 (金)

灯篭流し

職場の人に連れられて、広沢池にいってきた。大文字の最後の字、鳥居がみえる池なのだそうな。ついてみて驚いたのは灯篭流し。これほど美しいものだとは思わなかった。

近づいてよく灯篭をみてみると、戒名と寄付者の名前。そうか、これは盆の行事だったのだな。それを知らなかった自分を少しだけ後悔した。来年も京都にいたら、寄付をして灯篭を流してみたいと思った。他宗でもいいのだろうか。戒名がなくてもいいのだろうか。

わずかな風にゆらゆらと流されていく灯篭を眺めながら、しんみりとした気分になった。

http://www.youtube.com/watch?v=-gr0WZsrFDA

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2012年8月 9日 (木)

夏をのりきれ!

最近、食生活をちょっと変えてみた。直接のきっかけは健康診断の結果だったのだけど、やってみると案外楽しいのは、和食もどきの料理。この2週間、肉や油をかなり控えめにしている。マメ、野菜、魚、楽しいだけではなくうまいのがこれまたよろしい。アホみたいに食っているのは酢の物と粘りモノ。これがまた夏にはよく似合うのだ。

肉やラーメンの頻度は週一回くらい。くだらない懇親会でせっかくの「解禁日」をつぶされてしまうのはがっかりだけど。

そんなこんなで、夏を乗り切ろうとしている。この夏を超えられなかった母のためにもがんばってみようと思う。

あわただしい日常の中で、ふと我に立ち返る瞬間。これが、これまでの夏とはちょっと違うことだなあ、と、しんみりしてしまうこともあるのだけれど。それはきっと自分が生きている証なのだと思う。

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2012年7月20日 (金)

さようなら

棺におさまった人の表情は、僕が知っているころのものとはまったく別人であるといつも思ってしまう。

きっといつか僕がそうなったとしても、誰かが会いにきてくれたとしもきっとそうなんだと思う。

母の晩年を思えば、き彼女の気持ちもカラダもなんだか壊れてしまったかのよう。

僕にはどうすることもできないし、それはきっとお医者さんだってそうだったのだろう。

思い出をかみしめる間もなく日々はすぎ、毎日これでもかというくらいにしなければいけないことが増え、終わらせなければいけないことはまったく終わりがみえない。

そして周りは僕と同様に自分のことに追われている。つられて僕のキモチもカラダもぎしぎしと音を立て始める。

それはそれでしょうがないのだろうし、誰だって他人のことを気遣う余裕もないのかもしれない。

明日また起きたらいつものような一日がはじまる。

もう少しがんばらなければいかんなあ。

ありがとう。さようなら。とはついに言えなかったひとこと。

そんな気持ちをかみしめながらもらったゼリーをかみしめようとした。

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2012年4月27日 (金)

無理難題

春になって心機一転・・・というのは夢のまた夢。

ひとつのことが片付かないうちに、次のことが降りかかってくる。これはシゴトでもわたくしごとでも同じ。「これでもか!」などと毎日言われているような気がしてくる。ほんとうにトホホな日々が続くのだ。

こんなとき、だれもかれもが憎らしくなってくる。案外了見が狭いなあなどと冷静にみつつも、周期的に怒りにつつまれてしまうのだ。

人のためによかれなどという奢った気持ちでやっていたことは、実は大きなお世話だったのかも知れないなあ。

もうだまされないぞ。

と今夜は(も?)腑に落ちぬ気持につつまれて日付がかわった。

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2012年4月12日 (木)

サクラノシタデ

昨日の朝、電車に揺られていたら、ワンパクそうな顔立ちをした男の子が真新しい幼稚園の制服を着て、おかあさんの横で緊張した面持ちで座っていた。何か、キュッと緊張したような顔つきで、でも隣のお母さんにすがるような距離感で、対面の窓の外を眺めていた。

かつて、距離は遠かったのだけど、気持ちは身近にあったR太郎のことを思い出して、ちょっとだけキュッとした。泣き虫だったR太郎。でも弟をぶったりして、しっかりしようとして、しっかりできなくて、強くなろうとして、強くなれなかった4歳のR太郎。風のうわさに、もう小学生だと聞いた。もう、R太郎と会うことはないのだろうけど、なぜか彼のことを時折思い出す。

彼の人生にはこれからもっとつらいことややりきれないことも多々あるだろう。でも、頑張って生きていってほしい。生きるっちゅことは悪いことばかりではないけれど、いつも清くいられるわけではない。

でもそんなとき、Iマヤくんはいつもキミの見方でいようと思う。もしもキミと出会うことがあったら、40年の歳の差をこえて、キミに一人前のオトコとして接することにするよ。そしてもしもIマヤくんが、キミが悪いと思ったら、おもいっきりキミを殴るだろう。返り討ちにあうかもしれないけど。でもキミに対しては、Iマヤ君はいつも本気だ。

そんなことを考えながら、電車を降りて、サクラのつぼみの下を歩いていた。

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2012年3月26日 (月)

良質の涙

久しぶりに良質の涙を流した。場所は神戸のとある映画館。1月に京都でやっていたのだけれど、アルジェリアで寒さに震えていたので見れなかった一本。

フランコ政権下、スペインに生きる芸人の話。やはり芸人は、武器を持たずに勝負するのだ。かっこいいなあ。その芸人の命は凶弾に倒れても、しっかりと受け継がれていた。これは最後のシーン。

誰だって不条理な体験をもちながら、それをあいまいにごまかしながら日々を送る。不条理な現実を解決できなくても、すれすれのところで、その不条理さに対してどこまで抵抗できるか。人が生きることのエッセンスのひとつはそこにある。

不条理さを感じることは、映画の芸人も僕も同じなのだけど、何もできない自分のもどかしさを肯定する一歩にはなったような気がする。

母の状態は重い。本院に意識があるのがつらい。そんな現実にどうにもできない私の過去と現在。これまで何人かのひとびとに説明しようとしたのだけれど、言霊は届く前に墜落した。

僕のもどかしさを描いてくれたのがこの映画かもしれないなあと考えながら神戸を後にした。救いは、映画をみながらしこたま流した良質の涙。それでも僕は生き延びなければならないなあ。

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2012年3月 7日 (水)

ペルシアの夢

ペルシアに行ってきた。今はイランと呼ぶ方がふつうなのだが、「ペルシア」の方が僕の気持ちをくすぐるのは間違いない。今の政治状況からは想像できない、人々のおおらかさとやさしさ。これは決して旅人の感傷などではなく、彼らがその長い歴史の中で築き上げてきたものなのだと思う。思えばこの一年、アフリカに通いながらもニューギニア、ペルシアと足を延ばすチャンスが与えられた。これはまったくもって幸せというもの。

見知らぬ土地で多くのものごとやたくさんの人にお世話になりながら、考えたこと。それは、「広い世界を見ることができたのだから、小さなことは忘れてしまおう」ということとは正反対で、「だからこそ自分の小さな日常を大切にしよう」ということだった。

1年間続いた、「大旅行」は今回で一区切り。しばらくは日本にいる予定なのだけど、小さくささやかな毎日をいとおしく思うようになりたい。とはいえ、散らかりまくった家の中や職場のデスクを片付けることから始めなければならないのはちと気が重い・・・

まあなんとかやっていくさ。その前に時差ボケをなんとかしたいけどね。

話題のホルムズ海峡、一見したところとても穏やかであった。

Holms

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2012年2月10日 (金)

地中海の雪

1月のサハラは想像以上に寒く、震えっぱなしの滞在であった。昼間、つかのま太陽が出た時の幸せは十分に享受できたけどね。

そして、アルジェに戻ると雪。数十年ぶりの大雪。まさか地中海で雪が降るとは考えてもみなかった。ちょっと山手に入るともう40㎝の積雪。寒さに凍えながらも大家族の暖かさを感じることができたのはなんとも不思議。

旅人は、ちょっとだけ大家族の一員となった。

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