2012年1月 4日 (水)

京都の正月は曇っていたよ

誰とも口をきくことがない5日め、思い立って初詣にいってみた。何かにつけて北野天満宮のいってしまうのは、縁があろうというものか。たこ焼きやら、モツにやら、広島焼きやら、さすがに縁日系の屋台も進化するものだなあと思いながら、杖をついた人、楽しそうな家族連れ、他人につけいる間を与えない番たち、そんな人たちと足並みをそろえつつポケットの小銭を投げ入れて柏手。「僕自身にふりかかるつらいことにはたえますから、どうか年老いた両親に平穏な日々を」と願い、おみくじをひいた。「凶」。ありゃ。ちょっとショックであった。でも、「真面目にやっていれば救われるでしょう」というトーンに、「なんだ、これまでと同じではないか」と安堵する。今年も自分ができることをやるだけだ。虚勢や見栄や嫉妬や世間体なんぞは無用。

テレビがないから、ネットで箱根駅伝のハイライトを見た。母校は最下位。泣きそうにならいながら、ゴールするアンカーをはげまし、応援するギャラリー。結果はどうあれ、全力というのはいいものだなと思った。だから今年も全開。

正月っちゅうものは、世の中の人たちにとっては、休んだり、家族との絆を確認したりする場なのだろうけど、あいかわらず独りの僕にとっては、明日の旅立ちを確認する時期なんだ。今年の目標が2つだけ思い浮かんだけどそれは秘密。

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2011年12月28日 (水)

必然

今年は本当にあちこち動きまわった。地理的にも気分的にも。体も頭も心も一か所に落ち着くことなく動きまわった。それは自分が望んだものでもあり、望まなかったものでもある。そういう状態は、きっと避けられるものではないのだろうし、その結果、案外うれしかったこともあるのかもしれない。

もう10日以上も前、某大使館で頼まれた講演のあと、懇意となったカメラマンのO塚さん。15年前から名前だけはよく聞いていた。チャドですれ違い損ねた20代後半の男たち。15年後、私たちは40代となり、今はそれなりに多少は食えながらも、これから先食い続けていけるように、好きな仕事がこれからもできるように、日々をあくせく過ごすことが私たちの共通点なんだろうか。できることならO塚さんとアフリカで一度仕事をともにしてみたいと思った。

人と人との接点なんぞというものは、短くて、継続的な方が楽なのかもしれない。それは動かなければ窒息してしまいそうな者だけが思うことなのだろうか。最近は、永遠のものなんてきっとないのだと考えるようになった。変わったな、と自分自身で思うのは必然。

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2011年12月 1日 (木)

バジカ

先週、名古屋にいたとき、バジカの訃報を聞いた。バジカとは、あだ名であるが、本人から許しを得ていたので、本名で呼ぶことは無く、「バジカ、バジカ」と呼びならわしていた。バジカは社会学の研究者である。カメルーンからはじめて彼が日本に来たとき、京都のホテルまで向かえに行ったのがバジカでの出会いであった。奈良の大仏をみたときの、表情が忘れられない。後で聞くと「この世の中にこんなものがあったとは・・・」という心境であったのだそうだ。カメルーンの首都ヤウンデでのシンポジウムの後、ヤウンデに住む親戚まわりに僕を引っ張り出して、スラムのような路地を歩き、くたびれた中層住宅を訪ね、マルシェでサンダルを買ったのが、つきなみな表現だがつい昨日のようだ。バジカとならいつか楽しい共同研究もできるだろうな、なんて空想するときもあった。
そうだ、バジカの写真を以前アップしていた。「ジンギ」と本名でのせたけど。ともかく、今夜はバジカの供養。

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2011年11月26日 (土)

私は貝になった

「I山くんは、貝になるとどうしようもないよ」と言われたことがある。「深い海の底で、じっと殻を閉じたまま」。追い詰めるような相手の言葉に、沈黙1時間。それも電話。AB型の極端(自分ではそうではないと思っているけど)さが相手をそういう気持ちにさせたのだろうな。太陽に陽気になり、雨に憂う。月の加減はまだわからない。1週間の貝が開くだろうか、明日?

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がんばっていこう

帰国そうそう発表が2つとはかなり厳しい。おかげでこの1週間頭の中がグルグルしっぱなし。せっかくこうちゃんが来てくれたのに、ほとんど家政婦みたいにこきつかってしまった。こうちゃんは、35年来のともだち。同級生ではないのだけど、カマちゃんと僕を加えた3バカトリオは、今も健在なのだ。2年に一回しか顔をあわせんけどね。
こうちゃんは、おおらかで人間がでかい。中学の時大病を患ったこうちゃんは、去年25年ぶりに病気が再発してしまったらしい。なんで言わないのと文句を言う僕に、こうちゃんはあっさりとこたえた。「死にそうなときに、そんな余裕はないよ」、なっとく。「やっぱり親より先には旅だつことはできんね」というのが今回の合言葉になってしまった。こうちゃん、がんばって生きていこう。発表2つなんて楽勝だぜい、などと意気込んで、週末を迎える。要領なんてよくなくたって楽勝だぜい。明日はまた旅の空。

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2011年11月23日 (水)

アグレッシヴ

アフリカからの帰国直後に書くような話でもないような気もするが・・・
人を愛することはなんだかとてつもなく億劫でややこしい気がしてやまないのだけれども、ラーメンを愛することは簡単だ。旨ければよい。僕にとっての京都のラーメン、ツートップのうちの一軒は、ヨコハマ生まれのとんこつ太麺。地元神奈川県のレベルにも引けをとらないできばえ。たまに、気が向いたときその店の暖簾をくぐるのが大好きであった。僕はそのラーメンを素直に愛していた。
ところが、2年くらい前からその店は、大行列店になってしまった。街客のメインはどうやら近隣の大学生どもであるらしい。店の前まで行って、行列の長さに引き返したことは一度や二度ではない。垣間見る、行列の表情はどうみてもアホ丸出し。こんなやつらに食われてしまうラーメンのことを想うと、胸が張り裂けそうになった。「バカ面のお前らは〇一でもいってカラアゲセットでも食ってろ!」と心の中で叫んだ自分を決して傲慢だとは思わない。
案の定、バカ行列のおかげでその店は立ち退かざるをえなくなったようだ。
ちょっとしたきっかけから、その店が場所を変えて再開店するという情報をキャッチした。ネットで調べてみると、やはり開店早々大行列らしい。状況はどうやらいたちごっこの様相を呈しそうだ。ラーメンとそれをつくる人には何の罪もない。断罪されるべきは、味もわからんくせに、ガツガツと並ぶやつに間違いはない。
願わくば、その店を若く繊細な夫婦は京都を捨てて、アホどもがいない新天地で新規開店することだ。僕が店主だったら、バカ相手に渾身のラーメンをつくることには果てしない徒労感を感じてしまう。
最後にもう一度言う。バカどもよ、身の程知らずのラーメンを求めず、〇〇亭や〇力〇でふにゃふにゃ腰砕けラーメンでもすすっているのが、お前らにはふさわしい。どうか、消え去ってくれ。

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2011年11月 5日 (土)

時差ボケの向こうには

時差ボケの向こうには何があるか。それはやはり時差ボケだ。明日から9時間後の世界。
何度経験してもプレゼンの前と旅立ちの前には案外コチコチになっている自分がいる。ただ、そのコチコチの向こう側には、何か新しい物が待っているような気がいつもしている。
しばしの間は、モーターが焼け付く怖さを忘れて、新しいヒトやモノやきっちり噛みあう言葉に出会いにいこう。意固地さやカラまわりとは無縁の太陽の下でいつものように大汗をかきにいこう。汗と一緒にすべての問題が流れされたらいいのだけれど、そうはうまく行くまい。今度、焼付けを起こしそうになったら、モータ駆動はもうやめて、石炭と水を燃料にしようと思う。これならだましだましなんとか目的地までつけるだろう。遅くてもいいもんね。
珍しく、そそくさと荷造りが終わったので、ちびちび飲みながら出発前のひと時。誰にも邪魔されない静かな時間。今夜もおそらく、明け方までは寝られないのだろうけど、明日は飛行機に乗ってるだけだ。あの人工的な乾燥度空間は苦手なんだけどね。パリはさっさと素通りして、茶色い大地が待っている。明日は明日の風が吹く。第二閉塞進行!

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2011年11月 3日 (木)

時差ボケの夜の過ごし方

アフリカ帰りの日々が少々不安定なのは時差ぼけがかなり関係しているのだと思う。明け方になるまで寝ることができないということは、心身ともに案外とダメージを受けるものだ。ましてや気持ちをぐらつかせる出来事が起こったとしたら、夜はもう不安でいっぱいになる。昨夜はその波をもろにくらってしまい、ついつい飲みすぎてしまった。これはやはりよくない。
そのせいか、今晩は結構周到な準備をした。まず、2時を過ぎるまではアルコールに手をつけない。いくら早く手をつけはじめても結局は寝れぬまま、朝を迎えてしまう。
そして、気持ちを落ち着かせる小道具が必要。今夜の出し物は、シューベルトとハードボイルド小説。宵のうちにブックオフでシューベルトの「鱒」を仕入れてきた。今夜の気分はピアノよりも弦楽四重奏だ。深夜のラジオを消したのち、スピーカーからやわらかな音色が聞こえてくる。ハードボイルドは、へなちょこな気持ちに渇をいれてくれる。
もしも元気はあるときは、飲み始める前に、クルマでそのへんを1,2時間流すのもいい。高速をいつもより高めの速度でアクセルを踏み続けるのも集中できる。ただ残念ながら今の家から高速道路は遠い。
こうしているうちに、振り切れた電流計は落ち着きを戻すようになる。振り切れて、モーターが焼きついてしまったらもうどうにもならないけどね。昨日焼けそうになったモーターはまだ大丈夫そうだ。
明日の夜は年末年始の過ごし方などをじっくりと考えられるかな。東へ向かえないときは、しんみりと湯治宿で過ごしてみるなんてのも悪くはないか。高知のY先輩が元気だったら、遊びにいくのもいいけど、それはまだちょっと無理かも。やはりアフリカか??それとも思い切ってテレビを買って見続けてみるか。挙句、ひとりでしんみりと雑煮などをかみ締めているかもしれない。どれももうひとつ決めてにかけるな。アフリカから帰ったら考え直してみるか。
弦楽器にピアノが加わりはじめた。明日は明日の風がふきますように。

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2011年11月 2日 (水)

今から10年以上も前のこと、4年間のアフリカ暮らしから帰った僕は、半年だけ、工場でアルバイトをしていた。ベルトコンベアーに乗ってくる宅配コンテナの仕分け作業。朝8時から夕方5時まで、みっちりと機械になりきる。慣れてくれば脳みその10%を使うだけの作業だが、「俺はここでいったい何をやっているのだろう」と困惑の中で作業が続いた。10時、12時、15時の休憩の合図はスピーカーから流れてくる軽やかなクラシック音楽。その音楽はその後も時折、身体をよぎった。10月のスーダンでも一度だけ流れたことがあった。その題名がわかったのは昨日の深夜、ラジオで流れてきたときであった。
なんでシューベルトはこれを「鱒」と名づけたのであろう。きっと、山のほとりの小川で鱒が泳いでいる姿をみつけたからなのだろう。
そして今は、「鱒」が頭の中でリフレイン。ついでに「さくらんぼの実る頃」もリフレイン。
帰る場所がはぎとらるような身内の口調に、僕の気持ちは完全に宙を泳いでしまった。アフリカから帰ったときは、いつも気持ちが定まらないのだけど、そのひとことは心臓の底にずっしりとのしかかる。
愛着がある場所だとは想ってはいなかったのだけれど、気持ちの上でも、物理的にも元に戻る場所は無くなってしまったということを、思い知らされた。
これまでの経験から、たいていのことは乗り切れると思っていた。今日のこともきっと乗り切れるのだろうけど、少々難敵でもある。今こそ、落ち着いて、淡々と僕ができることをやるしか、なすすべはない。鱒のように泳ぎきっていけるだろうか。

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2011年10月29日 (土)

さよならスーダン

あっという間の3週間。相変わらず暑さの中で右往左往して、ちょっとだけやり残しを置いて、ちょっとだけ先のことを考えながら幕が降りる。正確にいえば明後日なのだけど、気分はもうさようなら。
今年に入って3回目に振り切れた気持ち。前の2回の気持ちを正確に表すのは難しいが、今回は明らかに怒りの感情。まあ、遠く離れた実験室の中で策略をめぐらすイモ野郎のことはさっさと忘れよう。
さようなら、ありがとうスーダン。ココロの回路がまたひとつ増えたような気がする。

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